【荒川区】尾久本土初空襲を語り継ぐパネル展を開催中/4月25日まで



ゆいの森あらかわ1階エントランスにて、尾久本土初空襲の当時の様子について描かれた絵画や体験者の証言等を展示しています。なお、4月16日、17日、20日、24日(いずれも午後2時~午後4時)には、展示会場に体験者が常駐しており、当時のお話を聞くことができます。

【尾久本土初空襲とは】
昭和17(1942)年4月18日正午過ぎ、日本本土が初めてアメリカ軍による空襲を受けました。真珠湾攻撃から約四か月後のことです。中でも、最初に被害を受けたのが当時の尾久町八、九丁目(現在の尾久橋付近)で、爆弾3個と焼夷弾1個(焼夷弾子128発を束ねたもの)が投下され、当時の記録によれば、死亡10人・重傷34人・軽傷14人・全焼43戸・全壊9戸・半焼1戸・半壊13戸の被害があったとのことです。
落下地点では、直径10メートル、深さ5メートルもの穴あき、家屋が倒壊し、上下水道やガス管も破壊されました。当時、干潮で、消火に隅田川の水を使えませんでしたが、地域の人々の尽力により、13時50分に鎮火しました。

【尾久本土初空襲が語られ始めてから】
区民の団体が平成12年から初空襲に合わせて、空襲の犠牲者の追悼を始めました。その後、平成21年からは初空襲体験者が中心となり、初空襲の歴史的意義や、戦争の悲惨さ、平和の尊さを後世に引き継いでいくために、「尾久初空襲を忘れないコンサート実行委員会」を立ち上げ、大きな規模での「コンサートと戦争体験者の座談会」を行ってきました。
さらに、平成28年度からは、尾久地区の中学校(6校)と協力をして、より多くの子ども達に伝えていくために「尾久初空襲を語り継ぐ公開授業」を行うなど、様々な活動を行っています。
また、荒川区教育委員会でも、空襲の事実の風化を防ぐために、平成23年度に「東京初空襲の地」の解説と爆弾落下の推測地点を記した地図などを掲載した「史跡説明版」を東尾久8丁目の熊野前保育園南面に設置するとともに、区内の中学校の道徳教育郷土資料に「尾久初空襲」を掲載する等、周知に努めています。

場 所 ゆいの森あらかわ1階エントランスホール(荒川区荒川2-50-1)

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