【荒川区】本当の家族のように~北海道広尾町との農山漁村交流~

本当の家族のように~北海道広尾町との農山漁村交流~


8月21日(月)から23日(水)、荒川区立尾久西小学校5年生の児童57人が北海道広尾町で農山漁村交流を行った。自然豊かな環境の中、子ども達は漁村等の手伝いを通じて、互いに助け合い協力することの大切さを学ぶ。筆者は2泊3日の交流の中で、4人の女子児童と漁師・吉田秀司(よしだ・しゅうじ)さんとの出会いに密着した。吉田さんには、ある一つの秘密があった。


 荒川区と広尾町の交流の始まりは平成21年まで遡る。きっかけは、区内の硬式女子野球の強豪チーム「アサヒトラスト」の主将を務める志村亜貴子(しむら・あきこ)さんの父親が、広尾町役場に勤務していることだった。荒川区と広尾町はこれまで「川の手荒川まつり」などで交流を続けてきたが、平成26年の東京都23区「全国連携プロジェクト」の開始とともに、「北海道・十勝 広尾町フェア」の開催やホームステイ事業等が盛んに行われるようになった。


「広尾町ってどんなまち?」――約1か月前、尾久西小の児童らは、クラスでホームステイ前の事前学習を行った。広尾町の人口は約7,000人。約20万人いる荒川区と比べて約30分の1の人口だ。一方、北海道十勝管内の最南端に位置する広尾町の面積は荒川区の60倍。人口も面積も、荒川区とは何もかもが異なる。
広尾町はクリスマスでお馴染みの「サンタ」のまちという一面も持つ。ノルウェーが認めた日本で唯一の「サンタランド」があり、子ども達が書いたサンタクロースへの手紙を届ける事業を行っている。そして何よりも一番の特徴は、昆布や鮭、ししゃもなど漁業の盛んなまちとして、漁村には漁師たちの強い絆が残っていることが分かった。


【8月21日(月):1日目】
 羽田から帯広までは飛行機で1時間45分。頭上には雲一つ無い晴天の空が広がっていた。日差しは強いが、気温は東京よりも5℃以上も低い。
空港から広尾町まではさらにバスで1時間かけて移動する。窓ガラスの外を覗いてみると、見渡す限り広がる広大な草原や大きな牛小屋が伺える。荒川区にはない、都会の喧騒から離れた豊かな自然が子どもたちの好奇心を刺激する。平野を抜けていくと、穏やかに波を打つ雄大な十勝湾が見えてきた。首都圏を結ぶ海の最短距離に位置する重要湾港だ。

 一行が最初に訪れたのは広尾町立広尾小学校。先述の「サンタランド」入口のすぐ手前にあり、緑豊かな山々を背負う校舎と、東京ではなかなか見ることのできない広いグラウンドが印象的だ。出迎えてくれた広尾小の児童らは「学校で30年以上続く、漁師の力強さ、逞しさを表現したソーラン節です」と、“海の子舞踊会”の半被を着て歓迎の舞いを披露してくれた。実は、本場のソーラン節が披露されるとあって、尾久西小の児童らもこの日のためにソーラン節の練習を重ねてきていた。「ソーラン、ソーラン」という掛け声が体育館に響き渡る。広尾小のソーラン節がどこか流れるような優しい舞いであったのに対し、尾久西小のソーラン節は力強い。どちらのソーラン節にも味わい深い魅力がある。

 広尾小との交流が終わると、広尾町コミュニティーセンターに会場を移し、いよいよ受け入れ先の漁師さんたちと対面する「入村式」が始まる。自分たちがどのような家に行くのか、怖い漁師さんだったらどうしようか……子ども達の表情には不安の色が浮かぶ。子ども達の前に立って挨拶をする漁師らの中に、吉田秀司さんの奥さんである真美(まさみ)さんがいた。

 吉田家にホームステイをすることになったのは、大塚(おおつか)ちひろさん、董東妤(とう・とうよう)さん、牧野星那(まきの・せいな)さん、田中(たなか)つかささんの4人。皆元気いっぱいの女の子だ。真美さんの運転する車に乗って吉田家に到着すると、秀司さんが出迎えてくれた。逞しい体つきで、顔は日に焼けて真っ黒になっている。4人が元気よく「よろしくお願いします!」と頭を下げると、秀司さんは「よろしく。まあ座って」と、優しい声で答えてくれた。4人に振る舞われたのは、「リボンナポリン(ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社)」という、北海道では有名なオレンジ色のジュースだ。口の中で炭酸が弾けるとともに、普通のオレンジジュースとは異なる、不思議な甘味が広がる。
 「娘が高校を卒業して札幌に行ってしまったから、にぎやかでいいね。『また広尾町に来たい』って思ってもらえたら」。4人を眺める秀司さんの眼差しは柔らかい。どうやら彼女たちの訪問を心待ちにしていたようだ。

夕食にはまだ時間が早い。「海行くか?」と秀司さんが訊ねると、「行きたい!」と4人は即答した。まだ若干の緊張した空気があるものの、4人の足取りは軽快だ。散らばる流木の上を慎重に歩いていくと、夕日が照りつけ、さざ波が静かに打ちつける海岸の砂浜に降り立つことができた。4人は砂浜に「北海道」と書いてみせたり、押し寄せる波から逃げてみたりと、各々海を満喫した。

 家に戻ると、長旅の疲れを吹き飛ばす夕食の時間だ。今日の夕食は、北海道名物・“秋鮭のちゃんちゃん焼き”。大きなプレートに秋鮭を埋め尽くすように敷き詰め、バターでコクを出した後、キャベツ、玉ねぎ、しめじを更に隙間に押し込む。それらに真美さんお手製の味噌をかけて蒸し焼きにする。「せーの!」の掛け声とともにプレートを開いた瞬間、食欲をそそる味噌とバターの香りが、湯気と合わさって一斉に広がった。お腹を空かせた4人は、「おいしー!」と、勢い良くご飯と一緒に口へ運んで行った。

 空腹を満たした後は、夏の風物詩「花火」の時間だ。昨今の都心では場所選びに苦労することが増えたが、吉田家の周辺は道路が広く、気軽に手持ち花火をすることが可能な環境がいたるところにある。日のすっかり落ちた午後7時、上着が一枚必要な肌寒さの中、吉田夫婦と子どもたちは意気揚々と火をつけていく。「おっちゃん! おばちゃん!」「星那! つかさ!」……色鮮やかな火花が散る中で、夫婦と彼女たちの距離はいつの間にか縮まっていった。

 「こんなにいい天気になったのは久しぶり。子どもたちが良い天気を連れてきてくれたのかな」。恵まれた晴天は夜まで続いた。花火の後、秀司さんが4人を車に乗せてある場所へと連れて行ってくれた。車を降りた瞬間、「うわー! すごい!」と、4人から感嘆の声が溢れ出す。肌寒く澄んだ空気の中で、見つめていると今にも吸い込まれそうな星の海が、ホームステイ初日を締めくくった。


【8月22日(火):2日目】
漁師家庭の朝は早い。昆布漁は、朝4時に天候や波の高さを確認し、「船を出す」「船は出さないけど拾いに行く」「今日はなし」と判断する。この日の空模様は曇天。船は出さないが拾い漁をすることになった。5時30分、布団から出てきた4人の瞼は重たい。どうやら昨晩は1日目の出来事を振り返る会話に花を咲かせすぎて、寝不足気味のようだった。あまり話が弾んだせいで「いい加減にしなさい!」と、真美さんから真剣に怒られたそうだ。会ったその日に真剣に怒ってくれる人は、そういないかもしれない。真美さん手作りのおにぎりを引っ提げ、音調津漁港で「昆布干し」の手伝いに向かう。

 干す場所は漁港に広がる砂利のスペースだ。保存場所である小屋も目と鼻の先に建っている。秀司さんが獲ってきたばかりの昆布をトラックの荷台から次々降ろしていく。その姿はまるで柔道の「背負い投げ」だ。子どもたちも秀司さんの技を真似てみるが、海水を吸った昆布の束は重く、そう簡単にはいかない。秀司さんの上半身の逞しさも納得だ。
 束がある程度ほぐれると、そこからは子どもたちの出番。片手に1,2本の昆布を持って引っ張っていく。最初は「ぬめぬめする!」と怪訝そうな表情をしていたが、次第に手つきは慣れていった。干すポイントは2つ。重ならないこと、そして離しすぎないこと。
 十分に干した昆布は裁断されたのち、等級ごとに分けられ、最終的に袋詰めされる。干し体験を終えた子どもたちは、続けて切る体験に入った。昆布を切る道具は長方形の木箱のような形状をしている。その木箱の中に昆布を入れ、箱に取り付けられた上下に動く大きなハサミで裁断されるという仕組みだ。子どもたちはまず昆布を手で押さえる役、次にハサミを動かして実際に切る役を体験した。子どもたちが切るには、身体全体で体重をかける必要がある。顔に滲み出る表情は必死そのものだ。
作業をすべて終えたら、ようやく朝ごはんの時間。真美さんの愛情がこもった手作りのおにぎりに甘めの卵焼きだ。重労働により漂っていた疲労感はすっかりどこかに消え去っていく。その後、子ども達は船に乗せてもらったり、海辺で遊んだりと束の間の休憩を楽しんだ。こんなに盛りだくさんのことがあっても、時刻はまだ、午前9時30分を回ったところである。とびっきり早起きした日の朝は長い。

 気が付くと雨が降り出していた。けれども子ども達の笑い声が止む気配はない。正午過ぎ、吉田家の近くに住んでいる秀司さんの姉・佐々木さんの自宅にテントを立て、一大イベントの「流しそうめん」が始まった。佐々木家の子ども達も一緒だ。流し台は本物の竹を割って作られた本格派。準備が整うと、子どもたちは流し台の前に整列し、そうめんが流れてくるのを今か今かと待ちわびていた。流しそうめんには、子どもの性格や特徴がにわかに現れ出す。俺が俺がと流し始めで構える子、中盤で遠慮がちに待つ子、最終地点でにやりとこぼれ球を狙う子……それぞれのやり方で流れるそうめんを捕まえて、楽しむ。雨粒がテントの骨をつたって滴り落ちる。子ども達の笑顔が勢い良く水の流れる竹を囲んでいた。

 流しそうめんに続いてスイカ割りを楽しみ、大満足の子ども達は、うにの養殖を学びに「うに種苗生産施設」を訪れた。うにがどのように育てられているか、小さな頭で生け簀を覗き込んでいると、突如施設内にサイレンが鳴り響いた。――農山漁村交流のプログラムには「地震津波想定避難訓練」が組み込まれている。尾久西小と広尾町町役場が連携し、抜き打ちの訓練を実施したのだ。鳴り響いたサイレンの音を聞いた子ども達。最初こそ戸惑いの表情を見せていたが、すぐに事態を把握した。担任の先生の指示に従いながら整列し、階段を上がり、避難場所である「音調津総合センター」へ速やかに移動した。
 訓練について、ホームステイ受け入れ先の一つでもある上野雅彦(うえの・まさひこ)広尾町消防団音調津分団長は「普段から先生の話を聞いて、自分たちの身は自分たちで守れるように」と、子どもたちに訴えかけた。

 訓練が無事終わると、時間は既に夕方になっていた。「もう明日で帰っちゃうんだね」。真美さんがそういうと、4人は「寂しい。帰りたくない」と悲しそうな表情を浮かべた。ホームステイ最後の夕食は、焼肉とジンギスカン。今日のご飯も北海道名物とあって、子どもたちの表情もまた明るさが戻ってくる。
 ホームステイ初日に、秀司さんは4人に一つの告白をした。それは、秀司さんの左足が義足であるということ。夕食後、4人は以前テレビで放映された秀司さんに関する特集映像を見ることになった。秀司さんは7年前に船の上で、昆布を巻き上げる機械に左足を挟まれる事故に遭った。秀司さんは当時の心境について「絶望した。足を切ると言われたとき、もう船に乗れないと思って泣いたよ」とこぼした。
悲しみの連鎖は更に続いた。入院中、一緒に漁をしてきた兄を交通事故で失った。しかし、秀司さんは船に乗ることを決して諦めなかった。「代々続いている船を途絶えさせたくない。片足を無くしてもやってやろう」。懸命にリハビリに励んだ結果、今はまた漁師ができる喜びを噛みしめている。「船に乗るの恐くないの?」4人から質問が飛んだ。「やっぱり始めは恐かったよ。けど、海、漁師が本当に好きなんだ」。根っからの漁師の顔には少し、恥ずかしさが垣間見えた。
その後は、北海道の方言の話など、団欒に華が咲いた。


【8月23日(水):最終日】
 午前3時。ぐっすり眠る子ども達をおいて、久々に船を出せるかもしれないと漁師たちには張りつめた空気が感じられる。長年の経験と勘によって養われた重厚な眼がじっと海を見つめる。この日の天候は晴れだったが、波が高すぎると判断。船を出すことは諦めた。
次第に水平線から朝日が顔を覗き始めた。荒波に小石が、ざー、ざー、と音を立てる。今にも吸い込まれそうな雄大な自然の中、漁師たちは海岸に並び、昆布漁を行っていた。昆布漁は、三本の爪が付いた「マッケ」と呼ばれる道具を海岸から沖へ投げ込み、ロープを手繰り寄せて引っかけて採る。朝日に照らされた昆布は、持ち上げると着物の帯のように長く、薄茶色に透けてきらきらと光る。ベテランの漁師でも波で身体のバランスが崩れかけることもあり、自然の驚異が感じられる。昆布を海岸に集めたら、トラックのワイヤーで一気に引き上げる。天気に恵まれた日は、トラック5往復程度も昆布が採れるという。

 砂利に昆布を干し終えたのは午前6時過ぎ。東京へ帰る子どもたちを朝食のために起こした。ごはんの団欒の様子や退村式会場に向かう迎えのバスまでの歩き道、並んで歩くその後ろ姿は、もう本当の家族のようだ。

 退村式は、入村式と同じ広尾町コミュニティーセンターで執り行われた。子ども達は、退村式の始まるおよそ2時間前に会場入りし、お世話になった家族のために一人ずつ手紙を書いた。楽しかった思い出、感謝の気持ち。それぞれの思いを手紙に込める。

受け入れ先の漁家の人々が会場に集まってきて、いよいよ退村式が始まる。児童2名の代表挨拶の中に、3日間密着してきた4人の中の1人、星那ちゃんがいた。「おっちゃん、おばちゃん…」元気一杯だった表情から突然、涙が溢れ出す。「うー」と、感謝の手紙をなかなか言葉に代えることができない。みんなから「頑張れ」と応援を受け、星那ちゃんは言葉をなんとか紡いだ。楽しかったこと。感謝の気持ち。「おっちゃん、足気をつけてね」。その言葉に、真美さんからも涙が零れ落ちた。子ども達それぞれが、濃密な2泊3日の日々を思い返しながら、この日のために練習してきた合唱曲「ビリーブ」を披露した。子ども達だけでなく、受け入れ先である大人たちも涙溢れる退村式となった。
最後に村瀨優(むらせ・まさる)広尾町長は子ども達に「荒川に帰っても頑張ってください。また広尾に遊びに来てね」と優しく語りかけた。末永寿宣(すえなが・としのぶ)尾久西小学校校長は、「本当に良かった。自分の家族のように接していただいて感謝しています。助け合い逞しくなった子どもたちには、自分の家に帰って、言葉でお父さんお母さんに感謝の気持ちを伝えてほしいと思います」と、子どもたちの成長を肌で感じていた。

全員で記念写真を行った後は、それぞれの家族で会話を。また家族のように、再会することを約束して。